2013年10月31日木曜日

本日の怪獣ケーキ




トリック オア トリート 軍団

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2013年10月17日木曜日

ケープ・グースベリー






先日、デザートのお店に行ったら…

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ケープ・グースベリーが出てきた。

日本で「食用ほおずき」と呼ばれているものと

同じだろうか。



似たような種類の食べ物で、野菜の部類に入る

トマティーヨ(←クリック)と呼ばれるものは

メキシコ料理を作る時によく使うので

おなじみだったのだけれど、

果物のケープ・グースベリーは

甘さが控えめで、

なんとなく中途半端な味がするような気がして

自分で率先して買ったことはなかった。



このデザートのお店では

ケープ・グースベリーに

少しだけお砂糖がまぶしてあって

さっぱりした味が引き立ち

とてもおいしかった。




2013年10月16日水曜日

朝からイワシ。






7月に、フィリピンレストランに

朝ごはんを食べに行った話を書いた。



相変わらず、灯台下暗しで

比較的近所にあるケーキ屋さんが

(怪獣ケーキ屋さんではありません。)

実は、フィリピン系のケーキ屋さんで

そこでも、フィリピンの朝ごはんが食べられる

ということを発見したので

早速食べに行ってきた。



パン・デ・サル(塩パン)という名前の

フィリピンの朝食用のパンで作った

サンドイッチの朝ごはんである。

(塩パンという名前だけれど、

 このお店のものはそれほど塩辛くなかった。)




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中身は、コーンビーフ、チキン、スパム、

それからイワシの中から選ぶのだが

イワシ好きな私は、もちろんイワシ。

生のイワシを調理したものではなくて、

オイルサーディンを味付けしたものだったけれど

これが、なかなかうまうま。



オイルサーディンだから、

家で簡単に真似できちゃうではないか。



Masarap na almusal!

(タガログ語で、おいしい朝ごはん。)










2013年10月14日月曜日

お財布の縁。(最終回)





これまでのお話

その1

その2

その3

その4




カリフォルニアには、知り合いは誰もいなかった。



若い2人は、悩んだ末

船の中で仲良くなったアメリカ人夫婦を頼って

ワシントンDCへ行く事にした。

何か困った事があったらいらっしゃいと

住所をもらっていたのである。



青年はなけなしの金をはたいて

アメリカ大陸を横断する汽車の切符を買った。



ワシントンDCでは、

突然訪ねたにもかかわらず

アメリカ人夫婦が

非常に快く迎えてくれた。



それだけではなく、

自分達の知り合いに職がないか

聞いて回ってくれ

ワシントンDCのとある大使館で

彼は執事として

彼女は、大使婦人のお針子として

住み込みの職を得たのである。



やがて戦争が終わった。



その頃、風の便りに

青年の父親がニューヨークにいる

といううわさが伝わってきた。



2人は、大使が自国へ帰るのを期に

ニューヨークへ移って

青年の父親と再会したのである。



父親がヨーロッパから持ってきた資金を使い

彼らは、小さな貿易会社を

怪獣ケーキの店の近所に構えた。




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当時は怪獣ケーキはなかったと思うが、実は老舗なお店である。



ミセス・チェンは3人の子供に恵まれ

その後、穏やかで幸せな人生を

送ったのだった。



お財布が、どんぶらこっこすっこっこと

川を流れてこなかったら

ミセス・チェンは、ご主人と結婚することはなく…

私も、ミセス・チェンと

怪獣ケーキ屋さんの前で

立ち話をすることもなかっただろう。



縁は異なもの。である。






2013年10月13日日曜日

お財布の縁 (その4)




これまでのお話

その1

その2

その3




日が暮れて移民局の戸が閉まっても

彼女の姿はなかった。



守衛に聞いても、明日また来いと言うばかりである。

青年は、移民局の前で1夜を明かし

開局と共に、係員に聞いてみたのが、

ただただ、門前払いされるだけであった。



頼み込んでも何をしても、

移民局の対応は、ただただ素っ気なく

彼女が中にいるのかどうかさえわからなかった。



命を賭けて、混沌とした中国から連れ出した彼女と

自由の国であるはずのアメリカで

離れ離れになってしまい、

青年は気も狂わんばかりだった。



彼は、手当たり次第に助けを求め

最終的に、弁護士の力を借りて

1ヶ月後にやっと

移民局の拘置所に入れられていた彼女を

助け出すことができたのである。



彼女が何故移民局で足止めされたのか

今となっては、誰にもわからない。



のどかな故郷で、

何不自由なく育った彼女にとって

許婚が外国にいる間の

戦争勃発の不安、

その後、中国を脱出する際に目撃した

焼けただれた町や、戦闘、

道端に転がる犠牲者の姿

そして、気の遠くなるほどの船旅の後

言葉のわからない見知らぬ国での突然の拘留は

どんなに恐ろしい経験であったことだろう。



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とりあえず、再会を果たした2人であったけれど

青年がヨーロッパから持ち帰った資金は

残りわずかしか残っていなかった。




つづく


2013年10月11日金曜日

お財布の縁 (その3)





これまでのお話は こちら↓

その1

その2




青年が目にした新聞記事というのは、

日本軍による中国への侵攻が

本格化してきているというニュースだった。



自分がヨーロッパで楽しい生活を送っている間に

自分の故郷が外国に侵略されつつある。

大切な許婚を放ったまま

自分がぬくぬくと良い生活を送っているわけにはいかない。



ヨーロッパの状況も、日に日に変わりつつあった。

将来的にヨーロッパが安全かどうかもわからなかった。

青年は父親とアメリカで落ち合うことを約束し

すぐさま荷物をまとめ、中国に向かった。



久々に帰った中国は混沌としていた。

すでに多くの街は日本の占領下にあり

生々しい戦争の傷跡が

至る所にみられた。



彼は、すぐに許婚の住む村に飛んでいき

彼女を連れて、南京に向かった。

国を脱出するためには

パスポートとビザを手に入れなければならない。



必要な書類をそろえると

やっとの思いでアメリカ行きの船に乗り込んだ。

港は、日本軍の占領下にあり

中国人は簡単に外に出る事を許されていなかったが

どうにか外貨とコネを使って潜り込んだのである。



それは、南京が日本軍の手に落ちる

数週間前のことであった。

日本軍の占領後

中国政府もアメリカ大使館も機能を失った。

あと数週間遅かったら

道はすべて閉ざされていただろう。

命も危なかったに違いない。



そして、彼らはアメリカ西海岸へと向かったのだった。



ミセス・チェンは、当時、英語を一言も話さなかった。

移民局では、1人1人別々に審査されることになっていた。

青年は、不安がる彼女に必要な書類を渡し

こう言った。



「この書類さえ持っていたら大丈夫。

 入国手続が終わったら、外の門のところで待っているよ。」



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お話とは関係ないニューヨークの旧移民局の図



入国手続きの終わった青年が外に出ると

ミセス・チェンの姿はそこにはなかった。

日がとっぷりと暮れてしまっても、

彼女は、姿を現さなかったのである。



つづく








2013年10月10日木曜日

お財布の縁 (その2)





これまでのお話はこちら



そうして、ミセス・チェンのお父さんと

お財布の持ち主は

時々、山を越えてお互いを訪ね

家族ぐるみでの友情を深めていった。



時には、少年が

一人で山を越え、訪ねてくる事もあった。



ミセス・チェンが14、5歳のころだったか

一人でやってきた少年が

ミセス・チェンに言った。

『僕は、父親と一緒にヨーロッパに行って

 一旗挙げてくる。

 必ず君を迎えにくるから

 どうか待っていてください。』



そうやって、ヨーロッパに旅立っていった彼は

彼女に何通もの手紙を送り続け…



彼女は、見知らぬ異国に

思いを馳せながら、

いつか帰ってくる許婚を信じて

青春時代を過ごしたのであった。



時は流れ、1937年。



ヨーロッパで、事業に成功していた青年は

許婚に手紙は書いていたものの

ビジネスがあまりにも面白くて

しばらく中国に帰る気はなかった。



しかし、そんなある日。

街角で売られていた新聞で

衝撃的なニュースを目にすることになるのである。



つづく



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写真とストーリーは関係ありません。




2013年10月9日水曜日

お財布の縁。





落し物の日記を書いていて思い出したことがある。



私の住んでいる建物には

以前、ミセス・チェンという素敵な女性が住んでいた。

彼女はいつも、誰にでもにこやかで優しく

彼女を見ると、誰しも心が和やかにならずにはいられない

そんな人物だった。



ミセス・チェンは、この建物の中で

一番愛されていた人と言っても過言ではないと思う。



数年前、ミセス・チェンが97歳で亡くなった時

娘さんらから、ミセス・チェンの生い立ちを聞いた。



彼女が生まれたのは、中国の

トラが出るような、そんな山奥の

小さな村だった。



彼女が産まれてしばらくしたある日のこと。

彼女のお父さんが川のほとりを歩いていたら

岸に袋が打ち上げられているのを見つけたのだそうだ。

中を覗いてみると、一財産とも思える金額のお金が入っていた。

袋には、持ち主のものと思われる人物名と村の名前も入っていた。



その村は、夜明けと共に家を出て

トラの住む山をいくつも越え、

丸一日歩き続けてやっとたどり着けるような

そんな遠くの、川上の村だった。



こんな大金をなくすというのは、本当に大事だ

落とした人はさぞ困っているだろうと、お父さんは思い

次の日、お母さんにお弁当を作ってもらうと

いくつもの山を越え、丸一日歩き続けて

川上の村にまで、袋を届けにいった。



落とし主は、もちろん驚き、たいそう喜び

こんなに正直な人はいないと、

お父さんを、ご馳走でもてなした。

落とし主の家には、産まれたばかりの男の子がいたので

お父さんは、自分にも女の子が産まれたばかりだと話した。



それを聞いた落とし主は、

これは何かの縁に違いない。

こんなに正直な父親を持つ娘は

さぞ素晴らしい女性に育つことだろうと言い

2人は、自分たちの子供を許婚にすると約束することで

永遠の友情を誓い合ったのだそうだ。



時は流れ、


男の子は、活発な少年に

女の子は、かわいらしい娘さんに育った。



つづく




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中国ならぬ、カナダのお山。



2013年10月7日月曜日

落し物。




先々週。



出張の直前にネイルサロンでペディキュアをしてもらった時に

スタンプカードが財布に入っていないのに気づいた。



その時に、ちょっとだけ財布が薄いような気がしたのだが

とても急いでいたので

新しいカードにスタンプを押してもらった。

出張中はもちろんのこと

出張から帰ってきてもかなりばたばたで

その出来事のことは、すっかり忘れていた。



土曜日。

郵便受けを覗いたら

差出人のない封筒が入っていた。

少しだけ分厚くて、切手が2枚貼られている。



開けてみると

中から、私の名前のついた

ネイルサロンと、美術館と、スポーツ用品店と

ディスカウントストアと、レンタカーの会員カードと…

小さなメモ用紙が出てきた。


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『木曜日に、タクシーの座席の上で

 これを見つけました。』



どうやら、タクシーで支払いをするときに

会員カードをごそっと

財布から落としてしまったらしい。



もし見つけたのがクレジットカードだったら、

私だって、カードの会社に知らせるかもしれない。



でも、私が落としたのは

落としてもそれほど大きな被害はない

ただの会員カードだった。

もし自分が、タクシーの中でこれを見つけたら

ただ、運転手さんに渡しておしまいにしてしまうだろう。



タクシーの落し物は、

どのタクシーに乗って何を落としたかと

自分から報告しないと戻っては来ない。



この匿名の人は

それでは私が困るだろうと思い

私の住所を探し出して

わざわざ郵便で送ってくれたのだ。



どこのどなたかわからないけれど

なくしたカードしっかり受け取りました。

本当にありがとう。




2013年10月5日土曜日

人間の体の神秘。






滅多にそんなことはしないのだが

かなりの人数を前にするような機会があった。

ここのところ連日続いていた仕事の最終日である。

私は、かなりの内弁慶なので

大勢を前にするのは、元々すごく苦手である。



んが。



その最終日の前夜2時ごろ

激しい頭痛と強烈な吐き気で目が覚めた。

熱もかなりあるようで、汚い話であるが

その後朝までトイレで動けなくなってしまった。



ちょっと回復しても、水分を取ろうとすると

吐き気が襲ってきて、どうしようもない。

脱水症状と、寝不足と熱でへろへろである。



会場には朝の7時半までに行かなければならず

この段階でキャンセルをしたり

代わりの人を用意するなんてことは不可能である。



とりあえず、6時頃、

這うようにしてシャワーを浴び、

これまた這うように家を出て

オットにタクシーに引っ張りこんでもらい

到着したらタクシーから引きずりだしてもらい

オットに寄りかかりながら、建物の入り口まで行った。



そこから一人で壁を伝ってエレベーターに乗り

会場に着くと、皆に

「幽霊みたいに真っ白だよーーー!!!」

と、口々に言われたのだが…



それでも、代わりの人物がいるわけではないので

帰ったほうがいいんじゃないかとは

誰も言い出さない。

時間がくるまで、テーブルにつっぷして

ただただ、吐き気に耐えた。



タダでさえ、大勢の前に立つのが苦手なのに

まっすぐにすら立てないような状態で

時間が近づくにつれ、あせりだし

恐ろしいストレスが襲ってきた。



時間になり、もう絶体絶命だーーーーーーーっ

と思いつつ、よれよれと自分の席を立ち上がると…



Untitled (2012-10-25 20:59:20)




何故か、けろっとしてしまい

吐き気も、頭痛も、熱も、体中の痛みも

ぜーんぜんなくなってしまい。



その日、仕事が修了するまで、

「今朝のあの顔色は、もしかして化粧だった?」

とか何とか、人にからかわれつつ…

(ランチにピザが出てきた時を除いて)

ぴっちぴちに元気に過ごしたのであった。



恐るべしアドレナリン効果。