数年前。
コニーアイランドにある遊園地が
閉園の危機に陥ったときに
それについての日記を書いた。
その後、コニーアイランドの遊園地は
閉園の危機を逃れ、
管理する会社が変わり
名前がアストロランドから
ルナパークに変わったものの
1927年にできた、
今年米寿を迎えた、木製ジェットコースターも
取り壊しの危機を逃れることができた。
木製のレールの図
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先日、何気なくラジオを聴いていたら
そんなコニーアイランドの話をしていた。
コニーアイランドと保育器という
およそかけ離れた話題の話である。
未熟児を育てる保育器は
19世紀の終わりごろ、ヨーロッパで考案されたのだそうだ。
アメリカに入ってきたころは
保育器は、一般的に
有効な医療機器とは考えられていなかった。
アメリカで保育器を使い出したのは
マーティン・クーニー(Martin Couney)
という医師だといわれている。
彼は、いわゆる普通の医師ではなかった。
なんと
彼は、コニーアイランドの見世物小屋に保育器を並べ
未熟児を入れて育て、
それを
見世物にしていたのである。
私が聴いたラジオ番組は、その保育器で育ったという
今年95歳になる、ルシル・ホーンという
女性のインタビューだった。
彼女は元々双子の一人として産まれたのだそうだ。
双子のもう一人は、産まれてしまったときには
すでに亡くなっていたのだけれど
彼女はまだ生きていた。
病院の医師は、この子が生き延びる可能性はない。
元々この世には縁のない運命であるし
双子なのだから2人一緒にお墓に入れるべきだと
両親に話したそうだ。
けれども、ルシルはまだ生きていた。
彼女の父親は諦めきれず、
ルシルをタオルに巻いて
タクシーに乗せてコニーアイランドに連れて行った。
ハネムーンでコニーアイランドに行った時に
保育器の見世物小屋を見たのを思い出したのだという。
ルシルは、そこで6ヶ月過ごして
無事に育つことができた。
ラジオでは、ルシルが少し大きくなった時に、
コニーアイランドを訪れた時の話をしていた。
彼女が見世物小屋に入った時に
たまたま、クーニー医師がいたので、
自分がここで育ったことを話すと
クーニー医師は、
保育器の前にたたずむ一人の男性の肩をたたき
「あなたの赤ちゃんも、この女性のように育ちますよ」
と言ったそうだ。
見世物小屋という、今にしてみると
あまりいただけない状況ではある。
けれども、とある資料によると
クーニー医師は40年間の間に
8000人の赤ちゃんを受け入れ
そのうち6500人が元気に育ち
親元に帰っていった。
経費は見世物小屋の収入で賄い
親からは一切お金は取らなかったそうだ。
見世物小屋は人気だったけれど
クーニー医師は一文無しで亡くなったそうだ。
ルシルは、見世物小屋を後にする時
クーニー医師が、ハグをしてくれたことを話していた。
クーニー医師は1950年になくなったけれど
ルシルが95歳で今でも元気なことを知ったら
とても誇らしくに思ったに違いない。
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