2016年1月6日水曜日
2015年9月27日日曜日
2015年9月4日金曜日
たかが20年、されど20年。
先月の終わりに
この街に来てから20年が経った。
未だに自分が異邦人であるという感は
まったく抜けないけれど
ここが
今まで過ごしてきた人生の中で
一番長く過ごした街である。

上の写真のぼやけた動画版は←こちら
20年の間に、街並みもスカイラインも
ずいぶん変わってしまった。
新しい友人ができては…
川の向こうや、
山の向こうや
大陸の向こうや
海の向こうや
星の向こうに
旅立って行く。
けれども、私は今日も
同じ場所にただ、佇んでいる。
2015年9月2日水曜日
半分のお家。
一緒にいたニューヨークっ子のAさんは
この地域の歴史に詳しく
「この建物、100年前の
1914年に建てられたものだけれど
建物の左側は、ちょん切られちゃったのよ。」
と言う。
そう言われれば、確かになんとなく、
収まりが悪いような気もしないでもない。
その昔、このチューダー様式の建物は
上の写真の右端部分だけではなく
現在、左側の銀行(Chase)の建物が建っている場所も含む
もっと大きな建物だったらしい。
(昔の写真 その1 その2 その3 ←クリック)
何を考えて左だけ潰して
他の建物を建ててしまったのか
どうやって、半分に切ったのかとか
色々と疑問は残るけれど…
誰かがギシギシと建物を半分に切った後も
とにかく、右半分は残り…
1階には、ホームステッドという名前の
パン&お惣菜屋さんも残っていて
(このお店は68歳だそう。)
昔っぽいスタイルのストルゥーデルを売っていた。
2015年8月24日月曜日
徘徊癖。
最近、夜、外で
昼間の運動不足の日は
それを解消するために
夜、

私がニューヨークに引っ越してきたばかりの頃は
ボディーガードなしには夜遊びはできなかったので
夜ふらふらと一人ででかけても大丈夫だなんて
ずいぶん変わったものである。
(今でも、道をよく知らない方は
夜遊びしないでください。)

私が徘徊する道は
夏の夜は特に観光客だらけで
私のように
夜遅くなっても、とても賑やかである。
今日は、途中で寄った公園で
野外映画上映を行っていた。

(バック・トゥー・ザ・フューチャーだった。)
その後デパートのショーウィンドウを冷やかしたり…

薬屋さんのマネキンに
ぎょっとしたり…

月がきれいだと思っては立ち止まり…

(ホントは半月です)
エンパイアステートビルの色が
今日はお気に入りの色だなと思っては立ち止まり

(カラーのライトアップをしていない日が好きだ)
ちっとも真面目にカロリーを消費せず…
このまま行ったらそのうち
徘徊老人だな、と思ったり…
そんなこんなな夏の夜なのであった。
2015年8月18日火曜日
ニューヨークのガンジス川
2年ほど前の8月の中旬に
野鳥を見に、ニューヨーク市のはずれまで
遊びに行ったことがある。
朝早くに、野生動物の保護区の駐車場に車を停め
色々な野鳥を眺めてから
日も昇り、暑くなってきたので
帰ろうということになり
駐車場に戻ったら、
車で満杯になっていた。
保護区の中では、
それほど人には会わなかったし
大量に人が押し寄せるようなものは何もないので
なんだろうと思っていたら
駐車場ですれ違う人は
全員インド系のようである。
駐車場は、川のようになっている入り江の前にあり
人々は皆、その入り江の砂浜に行っているようだった。
何故そんなに混みあっているのか
砂浜に何があるのかと思い
駐車場の端っこに行って観察すると…
人々は、水の中に入っていき
ろうそくと、花やフルーツがのっかった
籠のような、皿のようなものを、流していた。
服のまま沐浴をしている人もいる。
水を持ち帰ってきている人々もいる。
ニューヨーク市内には、
インド系の人々もかなりたくさん住んでいる。
若手の多くは、IT企業等につとめ
成功している人も多いけれど
かなりの人数の人々は
アメリカに来ても、サリー等の民族衣装を
日常的にずっとまとっていて、
インド式のライフスタイルをしっかりと守っている。
これも、何かインドの大切な習慣に違いない。
入り江に何かを流している人々を見て
オットと私は、こそこそと2人で話し合った。
「ニューヨークのガンジス川みたいだね。」
「これはオボンですか?」
「灯篭流しみたいだね。」
インドの故郷の川で灯篭流しをするように
彼らは、ニューヨークに移り住んでも
自分達の聖なる川(入り江)を見つけて
灯篭流しをしているのだ。
そこは、厳密には川ではなくて
流しても、河口に流れていくというよりは
岸に打ち寄せられるので
浜には、お供え物やら花やらが
カラフルにちらばっていた。

後日、インド人の知り合いに
何か特別な日だったのかと聞いたら
その日は、ジャンマシュタミと言って
ヒンドゥー教の神様の一人、
クリシュナのお誕生日を祝う日だったので
特に混んでいたのかもしれない
とのことだった。
2015年5月30日土曜日
マンハッタンヘンジ
マンハッタン島の通りは
碁盤の目になっていて
東西の道は
島の北端と南端を除いて
ほぼ等間隔にぴったり平行に並んでいる。
年に2回、2日ずつ
沈む夕日がこの東西の道と
一直線に並ぶ日がある。
その現象は、
マンハッタンヘンジと呼ばれている。
摩天楼を遺跡に見立て
夏至の朝日が遺跡の中央に当たる
イギリスの古代遺跡ストーンヘンジにちなんで
マンハッタンヘンジと名付けられているのである。
今年(2015年)のマンハッタンヘンジは
5月29日〜30日と
7月12日〜13日である。
5月29日(8:12PM)と7月13日(8:20PM)は、
半分沈みかかった太陽が一直線になる日で
5月30日(8:12PM)と7月12日(8:21PM)が
地平線上のまん丸の太陽が一直線になる日だ。
マンハッタンヘンジは
マンハッタンの中でも楽しめるけれど
モニュメントとしてのマンハッタンを見るのは
やはり、マンハッタンの外側からが良い。
ということで、
川を渡って、
マンハッタンヘンジの瞬間を見に行ってきた。
日の入りの30分ほど前。太陽はまだ高い。

この太陽が沈む瞬間に
真ん中の2つのビルの間にぴったりはまるはずである。
日の入り7分前に通過する消防艇。

そして日の入り。
水平線上に雲がかかっていたので
肝心の太陽を見ることができなかったのが
とても残念だったけれど
吸い込まれるような夕焼けだった。
上の写真は29日のものだが
翌日の5月30日は
雲が一層厚く、夕焼けもなかった。
次回の7月に期待したい。
ニューヨークの文明が滅びて
1000年くらい時間が経ち
この島が再発見された時に
年に2回、物好きな人間達が
マンハッタンのビルの間に沈む夕日を
崇めていたことを
未来の考古学者、または宇宙人が
発見することはあるのだろうか。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
マンハッタンヘンジを見た後は、
「こういう古代の儀式には、
やっぱり生贄がなくっちゃねー。」
という話になって…
生贄を食べた。

食べ尽くされた、
2015年5月18日月曜日
山のふもとで犬と暮らしている。
3年ほど前に書きかけたまま
すっかり忘れていた日記が出てきた。
なんだかもったいないので
そのまま掲載しようと思う。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その温泉宿を最後に訪れたのは
たぶん、20年以上前だったと思う。
祖母と一緒に行った、その駅前の宿は
外から見ると、昭和の匂いのするような
何の変哲もないコンクリートの建物だったけれど
とにかく、とにかく雰囲気が大好きで
とても気に入ったことが頭に強く残っていて
今回、日本へ行くことになったときに
ふとそれを思い出して、予約を入れてもらったのだった。
夕方、その宿に着くと
宿の人が「おかえりなさいませ。」
と迎えてくれて、ナンだかほっとした。
20年間、何も変わっていないのが
とてもうれしかった。
お抹茶を飲みながら、一息ついていたら
父が、ぼそっと言った。
「ここのテーブルで、忌野清志郎と筑紫哲也が
対談したと、新聞に載っていたよ。」
それまで、まったく知らなかったのだけれど
その旅館は、
私が大好きだった忌野清志郎の定宿だったのだ。
なつかしい風呂に入り
なつかしい光景を眺めてほっとしながら
忌野清志郎も、この同じ気持ちを感じて
何度も訪れていたのだろうと思った。
明け方
誰もいない露天風呂につかって
彼が眺めていたであろう同じ景色を眺めながら
トランジスタラジオを歌った。
きっと清志郎も知っていた
山のふもとの宿のわんこ、サバちゃん。
おまけ
山のふもとで犬と暮らしている。By清志郎
2015年5月5日火曜日
2015年4月30日木曜日
タイムズスクエアのふなっしー
ニューヨークの繁華街に行くと
バチもんの着ぐるみがたくさん歩いていて
観光客を狙っている。
見るからに、偽物なんだが
フレンドリーに誘いかけてきて
うっかり写真を一緒に撮ったりすると
お金を要求してくるので
決して一緒に写真を撮ったり
私は人ごみが苦手なので
滅多に繁華街に行かないのだが
先日、仕事で通りかかった時
ちょうど
ばちもんの着ぐるみがたくさんいるところで
信号にひっかかった。
たまたま隣に
日本から来たらしい観光客の団体がいたのだが
それとはなしに、会話を聞いていたら…
「おかあさん、あれ、ふなっしーやん?」
という声が聞こえてきた。
「ああ、ふなっしーやわぁ。
アメリカでもふなっしー人気なんやねぇ。」
えええ?ふなっしーなんかいるか!?
と、思って彼らの視線を追うと…
そこには…

ばちもんのミニオンがいた。
「あれ、ふなっしーちゃうでっ!!」
と、突っ込もうと思ったが
信号が変わったので
素知らぬ顔をしてその場を離れた。
2015年3月28日土曜日
春よ来い。
またまた雪がチラついた本日。
公園を歩いていたら
ヘレボルスの蕾が膨らんでいた。

なんだか、変なもの ↓ も咲きそうな雰囲気…

と、覗き込んでいたら
そばを歩いていた人が
「これは、ペーパー・ブッシュというのよ。」
と、教えてくれた。
家について調べてみたら
日本語では、ミツマタだった。
なーんだ。紙を作る木だから
ペーパー・ブッシュなのねん。
ということで、
春はもう少し。
あともう少しである。
2015年2月20日金曜日
川遊び。
2月になって、朝起きると、気温が
マイナス13℃とか、マイナス15℃
なんていう日が出てきて
体感温度など、平気でマイナス20℃以下になるので…
これはチャンスだ!と思い…
マンハッタンの東側を流れるイーストリバーに、
朝のお散歩に行った。
川が凍ってるかな?
と、思ったんである。
んが。
ヒートテックを、薄手と厚手と2枚重ねて
フリースを着て、
その上にダウンのベストを重ねて
かなーり分厚い寒冷地仕様のコートを着て
マフラーをぐるぐる顔に巻きつけて
ころっころになって
厳寒の中をわざわざ出かけて行ったというのに…

イーストリバーは
いつものように、どよんとした水が
たぷたぷとしているだけだった。
ただ、さすがにカモメも寒いのだろう。
カモメはいつも、杭の上や柵の上にとまっていることが多いのに
水の中の方が暖かいと見えて
そろって全員、川に浮かんでいる。
ちぇ。
せっかく、こんなに寒いのに
全然凍ってないなんて、ちゅまらん。
と、ぶつぶつ言いながら家に帰り
(家の中はホカホカに暖かいので)
フリースもヒートテックも全部脱いで
タンクトップ姿になって…
仕事中のオットに、
「イーストリバーが凍ってなくて、ぶーぶー。」
という、迷惑なメッセージを送ったら
「私のオフィスから見えるハドソン川は凍っています。」
という返事が来た。
ハドソン川は、マンハッタンの西側を流れる川である。
川はだいたい毎年凍るけれど
凍った日に、ぷらぷらと川に遊びに行けるような
そんな暇な日が重なることは、めったにない。
ということで
またいちから、ヒートテックを重ねて
今度はバスに乗って出かけた。
バスの終点から、公園をてくてく歩いて…

川岸に着くと…
じゃーん。

わーい。ハドソン川が凍ってる。
もっと北の方では砕氷船も出動しているくらい
凍っているそうだけれど
マンハッタン付近の氷はそれほど厚くはなく、
岸の近くで、うねうねと揺れていた。
昔は、イーストリバーも歩いて渡れるほど凍ったことがあるそうだが
近年は、そんなに分厚い氷が張ったことはないようだ。
私が訪ねた日に何故、イーストリバーが凍ってなかったのかは謎だけれど、
20日にはイーストリバーも凍っていたらしい。
おまけ:オットのオフィスから見えるハドソン川
2014年4月22日火曜日
2013年8月5日月曜日
ちょっと仕事を抜け出して…。
「ねぇ、仕事忙しい?」
と、誘いが来たのは、月曜の朝のことだった。
Sちゃんが、KさんやらJさんと遊びにいくのに
一緒に来ないかと言うんである。
決して暇なわけではなかったのだけれど
数時間だけなら抜けられるよ。と答え
ついていくことにした。
連れられて行った先は、近所の船着き場。
船は、いきなりマンハッタンを後にして…
コニーアイランドを横目で眺め…
着いた先で船を降りたら…
じゃぶじゃぶ。
午後の砂浜で、人とカモメと戯れて…
またボートに乗って帰ってきて
何事もなかったのように、仕事の続きをした。
2013年7月20日土曜日
誰も知らないモレーン湖。
いきなり話は5月のカナダに戻るが…
列車に乗って行った先から
また車を運転して
モレーン湖というところに行ってきた。
小さな湖だけれど
カナダの中でも最高の絶景と言われていて
雪解け水の深い青に背景の山々が美しいらしく…
そんな光景を、両親に見せたかったのだ。
んが。
ガイドブックをよく読んでわかっていたはずなのに
私は大きな勘違いをしていたんである。
上にも書いたが
モレーン湖というのは
山の雪解け水が作り出す湖である。
しかし、私が訪ねた5月の終わりは
山の暦では、まだ冬。
到着の前日まで吹雪だったそうで
山の頂は、雪に覆われたままであった。
つまり…
湖に水があるわけないぢゃーん。(山は絶景。)
注:本来の姿(←クリック)
水がなかったので…
湖の真ん中まで走っていって、
私がぬかるみにハマるんじゃないかと
湖のほとりで心配している家族に
「おかーさーん、おとーさーん、オットー!!」と
手を振ってみた。
(夏に来ていたら、絶対にやれない。)
水がなかったので…
湖の底の写真というものも撮ってみた。
(夏に来ていたら、こんな珍しい写真は絶対に撮れない。)
ほんのちょろーっとだけ残っている水写真も撮ってみた。
最初は、
美しい湖のほとりに、両親を置き去りにして
ハイキングに行こうかと思っていたのだが
吹雪のせいで登山道が閉ざされていたので…
干上がった湖を眺めながら
おやつに、
オクラチップスを食べた。
最近は日本人にも人気のモレーン湖らしいけれど
湖の底の写真を激写してる人なんて
殆どいないに違いない。
ふふーんだ。
2013年7月11日木曜日
2013年7月6日土曜日
2013年6月13日木曜日
2013年6月12日水曜日
水の色
列車は…
いくつもの川に沿って
ロッキー山脈の中を進んでいった。
川は、深くなったり、浅くなったり
広くなったり狭くなったりしながら
湖になったりしながら
ただただ流れ続けている。
フレーザー川は、途中に湖がないため
山を削って出来た砂が堆積せず、
雨が降っていなくても
砂がたくさん混じっていて
いつも濁流なのだそうだ。
フレーザー川の一番狭い場所は
流れがあまりにも激しく
「地獄の門」と名づけられていた。

流れがあまりにも激しく
「地獄の門」と名づけられていた。
フレーザー川とトンプソン川との合流地点では、
川の色が2色になり…
(窓ガラス越しに撮ったため、残念ながらガラスの反射が紫色に写っている)
トンプソン川に入ってしまうと
水の色が完全に変わった。
途中にいくつもある湖で
砂を落としながら進んでいくるので
水が澄んでいるのだそうだ。
そして
山から、何筋もの雪解け水が流れてくるのが
見えるようになると…
その下のコロンビア川では
川は、雪解け水の不思議な色をしていた。
そんな美しい川を下っていくボートを見つけた。
列車に乗っている人々は
喜んで、ボートの人々に手を振る。
手を振りつつ、
こんな急な流れを
下るなんて、無謀よねー。
なんて話もしたりする。
私も、喜んで手を振ったり、
写真を撮ったりしていたのだが…
後で、家に帰ってきてみて
パソコンの大画面で見てみたら…
ボートから落ちてる人々発見。
登録:
投稿 (Atom)





