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2015年9月4日金曜日

たかが20年、されど20年。




先月の終わりに

この街に来てから20年が経った。



未だに自分が異邦人であるという感は

まったく抜けないけれど

ここが

今まで過ごしてきた人生の中で

一番長く過ごした街である。




IMAG2799.jpg
上の写真のぼやけた動画版は←こちら



20年の間に、街並みもスカイラインも

ずいぶん変わってしまった。



新しい友人ができては…

川の向こうや、

山の向こうや

大陸の向こうや

海の向こうや

星の向こうに

旅立って行く。



けれども、私は今日も

同じ場所にただ、佇んでいる。




2015年7月25日土曜日

お子様用ビール。






昨日、知り合いの三歳児、

K君を預かっていたので

お昼は、突然だったので家に何もなかったし

近所のレストランにした。



そのレストランは、

普通の大人用のレストランではあるが

ベビーカーを押して入りやすいし

一応お子様メニューがある店なので

そこを選んだのだった。



まだ、お昼の早い時間だったし

夏の金曜のオフィス街のランチタイムで

ひと気が少なく

夜には大混雑するその店も

その時間のお客は、私たちだけで

気持ちもすごく楽だった。



お店に入って、メニューを見ていたら

ウェイトレスさんが、

塗り絵とクレヨンを持ってきてくれた。

さすが、子供オッケーの店である。



「ねぇねぇ、塗っていい?」

というので、

「はいはい、塗ってください。

 上手に塗ってくださいね〜。」

と、いい加減に答えて

メニューに熱中していたら、

「ねぇねぇ、これ僕?」

と聞く。

塗り絵の中に男の子がいるのだ。



横目でチラッと見て

「はいはい、そーですねー、K君ですねー。」

と、答えたら

「ねぇねぇ、僕は何持ってるの?」

と、K君が言う。

「何が、なあに?」

と、言いながら、塗り絵を覗き込んだら…



IMAG2534.jpg



塗り絵の中のK君は、ビールを抱えていた。

(ビールの他に抱えているものは

 ベルギーのフライドポテトとワッフルである。)



「ええっとねー、ポテトとワッフルと

 水が入ったコップ。」

と、答えると

「これなあに?」

と、ビールの泡を指差して聞くので

「アイスクリーム」

と、いい加減に答えたら、満足したらしく

「フライドポテトを食べもいい?」とか

「この前ワッフル食べた。」とか

「あとでアイスクリーム食べたい」

とかなんとか言いながら

そういう色に塗っていた。



預かり物の三歳児だったので

ビールが飲みたいとか言いださなくてヨカッタ。

 



2015年6月3日水曜日

ミセス・チェンの花束





先日、ミセス・チェンのお嬢さんが

突然訪ねてきた。



お嬢さんと言っても

もう70近い方だけれど

とても素敵なかわいらしい方である。



中西部に住んでいるので

年に数回しかニューヨークには来ないけれど

たまに来ると

何を一緒にするというわけでもなく

ただ、再会を喜び合ってハグをして

数分だけ立ち話をする。

それだけである。

お互い電話もEメールも知らないので

たまたま会った時に喜び合うだけである。



今回は、我が家までわざわざ訪ねていらしたので

何かなと思ったら、花束を下さった。



image



結婚式のために

ニューヨークに来ていたそうで

そこでもらってきた花束だそうである。



「もらってきたはいいけれど、明日帰ってしまうし

 捨てるのはもったいないし

 このお花は、あなたにぴったりだと思ったの。」



花束をダイニングに置いたら

すぐに花の香りが広がって

部屋がぱっと明るくなり

とても嬉しくなった。



ミセス・チェンの生前から

ほんのたまに顔を合わせて挨拶をするだけなので

彼女のことは、あまりよく知らないのだけれど

こういうかわいいことをするところは

本当にミセス・チェンにそっくりである。



花束を眺めていたら

ミセス・チェンがにこにこしながら

どこかから見ているような気がした。





2015年5月23日土曜日

セネガルのヒマな人。





昨日、パーティで

セネガル人だという男性と話をした。



アフリカ出身者にはよくあることだが

彼も、英語、フランス語、スペイン語と

セネガルの現地語3つと、アラビア語

全部で7ヶ国語くらいを話すそうで

日本語も忘れちゃったけれど

ちょっとだけかじったことがあるらしく

ドーモ、ドーモ、を繰り返していた。



日本語で自分の名前を書けるんだ

と言って

紙とペンを取り出したのだが

実際に書こうとしたら

ちょっと思い出せなかったらしい。

文字を2つだけ書いて固まっている。



やっぱり忘れたけど

これだけは書けるよ

と見せてくれた紙には

ひらがな2文字が書かれていた。



IMAG2158.jpg



ちなみに、彼の名前は『イブラヒマ』である。








2015年4月19日日曜日

不思議の国ニポンの旅。





今、アメリカ人の友人2人が

日本旅行をしている。



昨今は便利になったもので

わからないことがあったら

スマホですぐに連絡が取れる。



道に迷ったり、

お買い物で迷ったりした時には

写真を撮って送ってくるので

私は、アメリカに居ながらにして

右へ行け、左へ行けだの

手前の緑のではなく、奥の赤いのを買えだの

彼らをリモコン操作をして

助っ人をすることができる。



日本の道というものは

本当にわかりにくいことで有名だけれど

携帯のナビ機能が(大体は)教えてくれるし

目立たない店に行きたい時にも

その店の画像があれば

その画像を頼りに探すことができる。



知らない小路を曲がるワクワク感とか

そんな驚きが感じられない旅になったと言えば

それまでかもしれない。



けれど昔は到底できなかったようなことが

旅先でも簡単にできるようになった。

スマホは本当に世界を変えたと思う。



**********



彼女たちが日本に旅立つ前に

日本のシステムを説明していた時に

日本の券売機で、わからないことがあったら

ヘルプのボタンを押すと、

券売機の中から駅員さんが出てくることがある

と説明し、証拠に動画(←クリック)を見せた。



彼女たちは動画を見てびっくり仰天し

笑い転げていたので

「アメリカの自動販売機は全自動だけど

 おもてなしの国の日本では

 自動販売機の中には人間が入っているのだ。」

と、大ウソを言っておいた。



そんな彼女たち、電車の中で

こんな ↓ 説明書きを見つけた。


PC242887


(これは非常用ドアコックのカバーで、

  実はたぶん

 「非常時以外に開けるなよ!」という脅しである。)



「やたら薄そうな雰囲気だが、

 この蓋をあけると、中に人が入っているのか?」

と聞いてきたので

もちろん

「それ以外には考えられない。」

と答えておいた。




2015年3月26日木曜日

ブードゥー人形の呪い。 その5(最終回)



これまでのお話








目が覚めると、汗びっしょりであった。

窓が水滴で曇っている。

部屋の中はサウナ状態だった。

ベッドから降りようとして悲鳴がでた。

カーペットが、熱い湯で濡れているのだ。



ちぃちぃというジャングルの鳥の鳴き声は

パイプから漏れてくる音で

窓際に置かれている机の下から

お湯が部屋中に広がっていた。



私の悲鳴を聞いた隣人達が何事かと集まってくる。

私の部屋を覗いたEは、血相を変えて

ドアの前から消え、

まもなくキッチンから悲鳴が聞こえてきた。



流し台の下に、湯が漏れていたらしい。



下剤入りのケーキに、食べるなのメモをつけたのも

人形を持って帰れのメモを書いたのも私だった。

かわいいメモ用紙なんて持っているのは

日本人の私くらいしかいない。

私が仕返しに参加していることは明白だった。

「だから、たびさがターゲットになってるのよ。」

と、縁起でもないことをEは言う。



私は、呪いの人形なんて信じていない。

アタマが混乱してきた。



程なく、ビルのメンテナンスのお兄さん方が到着した。

どうやら、パイプの継ぎ目からお湯が噴き出したのが原因だった。



その日。



大学の学生課に行った時に

担当のS氏に、部屋のスチームの話をしていて

私は、ハッとした。S氏はハイチの出身である。

ハイチは、アフリカの信仰が伝わっている国だ。

何か呪いの人形について知ってるかも知れない。




「変なことを聞くけれど
 
 呪いの解き方を知っている?」

と言って、人形の話をした。



S氏は、だまって話を聞いていたが

その後ゆっくり言った。



「黒魔術はね、信じている人にしか効かないんだよ。」



私は

「全然信じてない、信じてないけど

変なことが起こるのだ」と言いはった。




「でも、君は人形を怖がっていたね。」

S氏はそう言った。そしてしばらく考えこんでいたが…



僕には、正しい呪いの封じ込め方はわからない。

 でも、ハイチでは、清めには塩を使ってると思う。

 その黒魔術が西アフリカのものだったら
 
 もしかしたら、清めに塩を使うかもしれない。」

というアドバイスをくれた。



その夜、私たちは、箱を用意し

人形を入れて

何処かから大量仕入れてきた塩を

箱いっぱいに入れた。

その後、箱をガムテープでぐるぐる巻にして

キッチンのキャビネットの上の棚の奥にしまった。



スチームはその日のうちになおったし

床の水も、業務用掃除機で殆ど吸い取ってしまっていたが

カーペットが完全に乾くまでの数日間

私は、またまた友人のアパートで過ごし

その後、寮に戻り

テスト週間が始まった。



スチームは、その後壊れることもなく

不吉な現象も起こらなかった。



冷蔵庫の中の食物は、相変わらずなくなり

イイカゲンうんざりしたEは、

残り物のメキシコ料理だのピザだのを持ってきては

私の部屋の冷蔵庫に、入れてくれと頼み…

入れたことをすっかり忘れる日が続いた。



私は、しょっちゅう、半分腐りかけた食物を持って

Eの部屋のドアを叩いては、

「捨てるよ!!」と叫んでいた。



その学期が終わった後、一連の事件に懲り懲りした私は

Aと一緒にアパートを借りて寮をでた。



引っ越しの日は記録的な大雪の日で

島中が真っ白に埋まり、

ふと、塩に埋めた人形を思い出した。



私の住んでいた寮は、1928年に建てられた古い建物だった。

古い建物のスチームが壊れるのはよくあることだ。

偶然といえば偶然であり、

ただ、運が悪かっただけだったのか

本当に人形の呪いだったのかは、

私にはよくわからない。



人形は、寮のキャビネットの中においたまま出てきたが

その後、どうなったかは知らない。






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2015年3月25日水曜日

ブードゥー人形の呪い。 その4




これまでのお話

その1

その2

その3



「なくなってる!!」

と、Eが叫んだけれど

私とAとJの3人は

「どうせBが持ち帰ったんじゃないの?」

「夜中なんだから、大きな声あげないでよ。」

と、呑気に構えていた。



しかしEは、流し台の下やら

キャビネットの中やら引き出しやら

ありとあらゆる場所を開けて、

人形を探し始めた。



そして最後に冷凍庫を開けると…



うっすらと霜を被った人形が

中に入っていたのである。



なんだかわからないけれど

私たちは鳥肌が立ち

声を出すことができなかった。



Eは、流し台の下からバケツを出して

バケツの中につまっているガラクタを

床の上にぶちまけ

人形に触らないように

フライ返しで、人形をバケツの中に入れた。



とにかく、人形を目にするのは嫌だったけれど

捨てるどころか触るのも怖かったので

私たちは、黙ってEのしていることを見ていた。



Eは、人形の入ったバケツを流し台の一番奥に入れ

ガラクタをめちゃくちゃに放り込んで

扉を閉めた。



その次の日は、授業がなく寝不足でもあり

暖房の修理屋は来ないということで

私は、友人のアパートに寝にいった。



それから数日間は

そのままその友人のアパートに泊まって

上げ膳据え膳で楽しく暮らしていたのだが

暖房が直ったという知らせを受けて寮に戻った。

上げ膳据え膳でなくても、

プライバシーのある自分のベッドや

お気に入りのマクラは快適で

私は宿題も早々にさっさとベッドに入って寝てしまった。



次の日の明け方、私は夢を見た。



どこか熱帯のジャングルを歩いている夢である。

ジャングルは汗ばむほど湿気が高く

ちい、ちい、という鳥の鳴き声が聞こえ

かすかにせせらぎの音がしていた。



ふと目をさますと、びっしょりと汗をかいていた。




またもやつづく


P1010098

注:写真と日記は関係ありません。




2015年3月24日火曜日

ブードゥー人形の呪い。 その3





これまでのお話

その1

その2



その夜は、マイナス10℃以下の

寒い寒い夜となった。



普段であれば、外気温が寒ければ寒いほど

暖房が効いて、部屋の中は暑いくらいであるのに

真夜中に寒くて目がさめた。



パジャマの上に重ね着をしたり

靴下をはいたりしたが、

寒くて眠ることができない。



スチーム暖房のパイプを触ったら

すっかり冷え切っており

ガラス窓からどんどん寒さが押し寄せてきていた。



部屋の外に出ると、隣の部屋のJも出てきた。

Jの部屋は角部屋で窓が2方向にある。

私の部屋よりも寒いに違いなかった。

外に面していない廊下は、部屋ほど冷え切ってはいない。

暖かいお茶でも飲もうとキッチンに行くと

キッチンは暖房がついていて暖かだった。



どうやら、建物の東南の部分のスチームだけが壊れているらしい。



そのうち、EとAも部屋から出てきて

女子学生4人がキッチンに集まることになった。



セキュリティに電話してみたけれど

夜中なので暖房のことはどうにもならないという。



暖かいお茶を飲みながら

キッチンにおいてあるカウチで

4人、うだうだしていると

Eが突然言いだした。



「きっと、あの人形を冷蔵庫に入れたから

 寒くなったんだ。」



私は、呪いの人形なんて信じていなかったし

Jも、Aも同じだった。

でも、Eは、人形を冷蔵庫から出したら

暖房が直ると言い張り、

勢いよく冷蔵庫を開け

野菜室の引き出しを引いた。







しかし。






野菜室はからっぽだったのである。



つづく



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注:写真は日記と関係ありません。



2015年3月22日日曜日

ブードゥー人形の呪い。 その1





今は昔。

学生寮に住んでいた時のことである。



その寮は、男女共用の寮で、

同じフロアには、

男子学生が6人、女子学生が4人住んでおり

共用のキッチンをこの10人で使っていた。



事件は、このキッチンの冷蔵庫から始まった。



冷蔵庫に食べ物を入れておくと

誰かが食べてしまうという事件が多発したのである。

名前を書いておいても、食べられてしまうらしい。



私は、友人に入れ知恵されて

小さな冷蔵庫を借りて、自室に置いていたので

最初のうちは、完全に部外者だったのだが

そのうち、皆が毎日文句を言うようになり

騒ぎに巻き込まれることになった。



このフロアの学生で、それまで

盗まれたことの文句を言っていないのは

自室に冷蔵庫を置いている私とK。

それからBであった。



Bは、冷蔵庫を持っていないし

いつも、呑んだくれて真夜中に帰ってきて

皆が授業でいなくなる時間に起きてくるような生活だったので

盗人は、Bにちがいないということになったが

決定的な証拠なしに、追求することができない。



ある夜のこと。

Eが、もう我慢ができないと言い出し、

仕返しをしようと言い出した。



ちょうど、何かの催し物があり

Aが余り物のチョコレートケーキを持って帰ってきたので

そこに、チョコレート味の下剤をしかけて

冷蔵庫に入れておこうという

大変、悪意ある意地悪な仕返しを計画したのである。



仕返し計画には8人が加わっていた。

私は、全くの部外者だったにも関わらず

おもしろがって、チョコレートケーキの組み立てを担当し

食べるな!ラベルを作って

かわいらしいデコレーションをしたのも私だった。



次の日、案の定チョコレートケーキは

半分ほどなくなっていたが

決定的な証拠を押さえることはできなかった。



そしてそれは、その2日後の事であった…。



つづく。



IMAG1054

注:写真と記事は関係ありません。



2015年3月16日月曜日

セレブな内祝い。





しばらく前の話だけれど

友人のHちゃんが怪しげなメールを送ってきた。



「ずっと欲しいなーっと思っている割には

 買ってないものない?」

という内容のメールである。



たぶん、内祝いに何が欲しいか

探っているのだろうと思われたので

非常に適当に

ハリー・ウィンストンのピンクダイヤモンドの指輪

 欲しいなーって思ってるけれど、

 そういえば、買ってないなー。」

と、答えておいた。



その後しばらくして

荷物が届いたら…



正式の内祝いと思われるものの中に…



しな〜っと…








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やたら軽い巨大なピンクの

ダイヤモンドリングが入っていた。




2014年3月3日月曜日

呼び水。





昨年の終わり頃。



今まで、会おう、会おうと思いつつ

ずっと会っていなかった人々に会おうと

思い立った。



2014年は、昔の友人に会う年にしよう。

そう思ったのである。



手始めに、10年程音信不通だった人を

たまたまネットで見つけたので、メールを出し

久々に、昔の仲間で集まって夕飯を食べた。



ずーーーーっとホリデーカードの交換しかしていなかった人と

ご飯を食べよう!と約束して、それを実行した。



それから、久々にカリフォルニアへ行く用事があったので

やっぱり、ずっと会っていなかったLと久々の再会を喜んだ。



そうしたら、ここ数年ロンドンに引っ越していた

Cさんが、転勤でニューヨーク市内に戻って来たので

転勤でミシガン州に行ってしまっていたAさんの帰省のタイミングで

久々に夫婦3組のデートをした。



そうこうしていると、

しばらくカリフォルニアに引っ越していたMが

突然、ニューヨーク州に戻って来て

来週あたり、デートの予定である。



先々週、突然友人から電話があったので何かと思ったら

15年くらい前にアムステルダムに引っ越してしまった共通の友人のA

出張でニューヨークに来ているので出てこいというので

やっぱり、昔の仲間で集まって、再会を喜びあった。

(注:友人Aの物語 その2その3その4



そして昨日。



最後にあったのが20年前という、日本の昔のクラスメートが

突然実家に、会いましょうというハガキを送って来たので

メールを送ったら、返事がきて、

次の帰国の時に会おうね。という話になった。



私のテレパシーが皆に通じたのか

それとも、私が皆のテレパシーを受け取ったのか

神様が、いたずらをしたのか

なんだかよくわからないけれど

自分で勝手に「やろう!」と思ったことが

向こうからやってくる、この不思議さよ。






Untitled (2013-02-25 22:20:59)

2013年12月20日金曜日

フォーチュンクッキー





昨日の夕食は

近所の中華料理屋さんに行った。

食べた後には

例によってフォーチュンクッキーがもらえるのだが

昨日の運勢は…



IMAG0097.jpg



「誰かがカラオケパーティに招待してくれるでしょう。」

という、いつものように

的の外れた運勢だった。



どちらかというと私はカラオケが苦手であり

親しい友達にもカラオケに行こう!

と言う人がいないので

これは、大はずれだねーっといいつつ

とりあえず、意味もなく写真だけ撮って家に帰った。



今朝。



近所のSちゃんが、今日の午後から旅に出てしまい

1月の中旬までは帰ってこないというので

出発前に朝ご飯を一緒に食べようということになり

ダッチアップルパンケーキを焼いて持っていった。



朝ご飯には、SちゃんのボーイフレンドのK君も来ていて

3人で、パンケーキを頬張りながら

いつものようにたわいのない話をしていたのだが…

別れ際になって、急にK君が言った。

「ねえ、Bのことを覚えている?」

Bは、K君のよい友人で10月に亡くなった人である。

私は、それほど親しいわけではなかったのだが

話にはよく聞いていたし、顔は知っていた。



「1月にBのお別れ会を開くんだけど

 たびさにも来て欲しいんだけどな。」

と、K君が言う。



「辛気くさいお別れ会じゃなくてね

 Bの人生を祝うような

 楽しい会にするつもりだから

 人数は多い方がいいんだ。」



別に断る理由もなかったので

「いいわよー。どこでやるの?」

と聞いた。



場所は、Bが好きだったという

近所のカラオケ屋だった。



2013年12月2日月曜日

感謝祭前夜のできごと。





4年ほど前まで

Aさん夫婦、Cちゃん夫婦、そして私達夫婦と

よく夫婦3組で集まって

食べ歩きをしていた。



けれども4年前にCちゃん夫婦はロンドンに引越し

Aさん夫婦も1年半前にミシガン州に引っ越してしまい

たまに、どちらもニューヨークへ帰ってくるものの

3組で集まる事はなくなってしまった。



1ヶ月前、Cちゃん夫婦がニューヨークへ

完全に戻ってきた。

Aさん夫婦はまだミシガンに住んでいるけれど

感謝祭で、ニューヨークを訪れるので

この機会を逃すわけにはいかないと

久々に3組で会う計画をたてた。

感謝祭の前日に、Aさん夫婦が

空港からレストランへ直行するという計画である。



感謝祭の2日前。



天気予報は、すごい嵐であった。

「明日、飛行機が飛ぶかどうかわからないよ。」

と言うAさんのメールにヤキモキする

Cちゃん夫婦と私達。

当日になっても

「飛行機が遅れています。」

というメールばかりが届き

どきどきする私達。

来れなかったら4人で食べるしかないね

と話していたのだが…



夕飯の予約に間に合うギリギリの時間に

やっと飛行機が飛びたったメールをもらい…

ニューヨークの空港に着きましたメールをもらって

小躍りをした直後のことである。



Untitled (2013-09-04 23:31:41)




Cちゃん夫婦からメールがあり

息子が怪我をしたので救急病院に行きますメールが届いた。



病院へ行くような怪我だったら

のほほんとベビーシッターに預けて

レストランへ来るなんてことはできないだろう。

ということで、Cちゃん夫婦の脱落が確定。



けれどもAさん夫婦はやってくるので

私達はレストランへ向かう。

んが。

予定の時間になっても、Aさん夫婦は現れなかった。



携帯で「今どこにいるの?」

とメールをしたら

入れ違いに全く同じ文面の「今どこにいるの?」

というメールが届いた。



どうやら、似たような名前の

全然違うレストランに行ってしまったらしい。



ということで約束の時間の30分後、

Aさん夫婦がレストランに到着し…

どたばたの末に4人で夕食をとったのであった。



携帯のない時代だったら

まったくどうなっていたことやら。










2013年10月14日月曜日

お財布の縁。(最終回)





これまでのお話

その1

その2

その3

その4




カリフォルニアには、知り合いは誰もいなかった。



若い2人は、悩んだ末

船の中で仲良くなったアメリカ人夫婦を頼って

ワシントンDCへ行く事にした。

何か困った事があったらいらっしゃいと

住所をもらっていたのである。



青年はなけなしの金をはたいて

アメリカ大陸を横断する汽車の切符を買った。



ワシントンDCでは、

突然訪ねたにもかかわらず

アメリカ人夫婦が

非常に快く迎えてくれた。



それだけではなく、

自分達の知り合いに職がないか

聞いて回ってくれ

ワシントンDCのとある大使館で

彼は執事として

彼女は、大使婦人のお針子として

住み込みの職を得たのである。



やがて戦争が終わった。



その頃、風の便りに

青年の父親がニューヨークにいる

といううわさが伝わってきた。



2人は、大使が自国へ帰るのを期に

ニューヨークへ移って

青年の父親と再会したのである。



父親がヨーロッパから持ってきた資金を使い

彼らは、小さな貿易会社を

怪獣ケーキの店の近所に構えた。




IMAG0009.jpg
当時は怪獣ケーキはなかったと思うが、実は老舗なお店である。



ミセス・チェンは3人の子供に恵まれ

その後、穏やかで幸せな人生を

送ったのだった。



お財布が、どんぶらこっこすっこっこと

川を流れてこなかったら

ミセス・チェンは、ご主人と結婚することはなく…

私も、ミセス・チェンと

怪獣ケーキ屋さんの前で

立ち話をすることもなかっただろう。



縁は異なもの。である。






2013年10月13日日曜日

お財布の縁 (その4)




これまでのお話

その1

その2

その3




日が暮れて移民局の戸が閉まっても

彼女の姿はなかった。



守衛に聞いても、明日また来いと言うばかりである。

青年は、移民局の前で1夜を明かし

開局と共に、係員に聞いてみたのが、

ただただ、門前払いされるだけであった。



頼み込んでも何をしても、

移民局の対応は、ただただ素っ気なく

彼女が中にいるのかどうかさえわからなかった。



命を賭けて、混沌とした中国から連れ出した彼女と

自由の国であるはずのアメリカで

離れ離れになってしまい、

青年は気も狂わんばかりだった。



彼は、手当たり次第に助けを求め

最終的に、弁護士の力を借りて

1ヶ月後にやっと

移民局の拘置所に入れられていた彼女を

助け出すことができたのである。



彼女が何故移民局で足止めされたのか

今となっては、誰にもわからない。



のどかな故郷で、

何不自由なく育った彼女にとって

許婚が外国にいる間の

戦争勃発の不安、

その後、中国を脱出する際に目撃した

焼けただれた町や、戦闘、

道端に転がる犠牲者の姿

そして、気の遠くなるほどの船旅の後

言葉のわからない見知らぬ国での突然の拘留は

どんなに恐ろしい経験であったことだろう。



Untitled (2012-10-28 11:13:10)




とりあえず、再会を果たした2人であったけれど

青年がヨーロッパから持ち帰った資金は

残りわずかしか残っていなかった。




つづく


2013年10月11日金曜日

お財布の縁 (その3)





これまでのお話は こちら↓

その1

その2




青年が目にした新聞記事というのは、

日本軍による中国への侵攻が

本格化してきているというニュースだった。



自分がヨーロッパで楽しい生活を送っている間に

自分の故郷が外国に侵略されつつある。

大切な許婚を放ったまま

自分がぬくぬくと良い生活を送っているわけにはいかない。



ヨーロッパの状況も、日に日に変わりつつあった。

将来的にヨーロッパが安全かどうかもわからなかった。

青年は父親とアメリカで落ち合うことを約束し

すぐさま荷物をまとめ、中国に向かった。



久々に帰った中国は混沌としていた。

すでに多くの街は日本の占領下にあり

生々しい戦争の傷跡が

至る所にみられた。



彼は、すぐに許婚の住む村に飛んでいき

彼女を連れて、南京に向かった。

国を脱出するためには

パスポートとビザを手に入れなければならない。



必要な書類をそろえると

やっとの思いでアメリカ行きの船に乗り込んだ。

港は、日本軍の占領下にあり

中国人は簡単に外に出る事を許されていなかったが

どうにか外貨とコネを使って潜り込んだのである。



それは、南京が日本軍の手に落ちる

数週間前のことであった。

日本軍の占領後

中国政府もアメリカ大使館も機能を失った。

あと数週間遅かったら

道はすべて閉ざされていただろう。

命も危なかったに違いない。



そして、彼らはアメリカ西海岸へと向かったのだった。



ミセス・チェンは、当時、英語を一言も話さなかった。

移民局では、1人1人別々に審査されることになっていた。

青年は、不安がる彼女に必要な書類を渡し

こう言った。



「この書類さえ持っていたら大丈夫。

 入国手続が終わったら、外の門のところで待っているよ。」



PA180467
お話とは関係ないニューヨークの旧移民局の図



入国手続きの終わった青年が外に出ると

ミセス・チェンの姿はそこにはなかった。

日がとっぷりと暮れてしまっても、

彼女は、姿を現さなかったのである。



つづく








2013年10月10日木曜日

お財布の縁 (その2)





これまでのお話はこちら



そうして、ミセス・チェンのお父さんと

お財布の持ち主は

時々、山を越えてお互いを訪ね

家族ぐるみでの友情を深めていった。



時には、少年が

一人で山を越え、訪ねてくる事もあった。



ミセス・チェンが14、5歳のころだったか

一人でやってきた少年が

ミセス・チェンに言った。

『僕は、父親と一緒にヨーロッパに行って

 一旗挙げてくる。

 必ず君を迎えにくるから

 どうか待っていてください。』



そうやって、ヨーロッパに旅立っていった彼は

彼女に何通もの手紙を送り続け…



彼女は、見知らぬ異国に

思いを馳せながら、

いつか帰ってくる許婚を信じて

青春時代を過ごしたのであった。



時は流れ、1937年。



ヨーロッパで、事業に成功していた青年は

許婚に手紙は書いていたものの

ビジネスがあまりにも面白くて

しばらく中国に帰る気はなかった。



しかし、そんなある日。

街角で売られていた新聞で

衝撃的なニュースを目にすることになるのである。



つづく



PB035167

写真とストーリーは関係ありません。




2013年10月9日水曜日

お財布の縁。





落し物の日記を書いていて思い出したことがある。



私の住んでいる建物には

以前、ミセス・チェンという素敵な女性が住んでいた。

彼女はいつも、誰にでもにこやかで優しく

彼女を見ると、誰しも心が和やかにならずにはいられない

そんな人物だった。



ミセス・チェンは、この建物の中で

一番愛されていた人と言っても過言ではないと思う。



数年前、ミセス・チェンが97歳で亡くなった時

娘さんらから、ミセス・チェンの生い立ちを聞いた。



彼女が生まれたのは、中国の

トラが出るような、そんな山奥の

小さな村だった。



彼女が産まれてしばらくしたある日のこと。

彼女のお父さんが川のほとりを歩いていたら

岸に袋が打ち上げられているのを見つけたのだそうだ。

中を覗いてみると、一財産とも思える金額のお金が入っていた。

袋には、持ち主のものと思われる人物名と村の名前も入っていた。



その村は、夜明けと共に家を出て

トラの住む山をいくつも越え、

丸一日歩き続けてやっとたどり着けるような

そんな遠くの、川上の村だった。



こんな大金をなくすというのは、本当に大事だ

落とした人はさぞ困っているだろうと、お父さんは思い

次の日、お母さんにお弁当を作ってもらうと

いくつもの山を越え、丸一日歩き続けて

川上の村にまで、袋を届けにいった。



落とし主は、もちろん驚き、たいそう喜び

こんなに正直な人はいないと、

お父さんを、ご馳走でもてなした。

落とし主の家には、産まれたばかりの男の子がいたので

お父さんは、自分にも女の子が産まれたばかりだと話した。



それを聞いた落とし主は、

これは何かの縁に違いない。

こんなに正直な父親を持つ娘は

さぞ素晴らしい女性に育つことだろうと言い

2人は、自分たちの子供を許婚にすると約束することで

永遠の友情を誓い合ったのだそうだ。



時は流れ、


男の子は、活発な少年に

女の子は、かわいらしい娘さんに育った。



つづく




Untitled (2013-05-25 20:40:05)

中国ならぬ、カナダのお山。



2013年7月27日土曜日

フィリピン朝ごはん。




少し前の日記で、

フィリピンのチョコレート粥の話を書いた。

友人のMちゃんから、

「チョコレート粥の付け合せはお魚の干物だよ」

という話を聞いてからというもの

フィリピンのお魚の干物とは、どんな干物なのかが

気になってしょうがなかったのだが…

マンハッタンには、

チョコレート粥と干物を朝ごはんに出す店はない。

けれども、干物をブランチに出す、という

フィリピン料理の店を見つけたので行ってきた。



レストランに入ってからすぐに

Mちゃんに

携帯メールでメニューの写真を送り

これにしなさいと選んでもらったのは

フィリピンの典型的な朝ごはんの

Bangsilog というメニュー。



Bangus と呼ばれるお魚の干物に

Sinangág と呼ばれるガーリックライスと

Itlog と呼ばれる玉子の組み合わせで

全部を短くして、Bangsilog と呼ぶのだそうだ。



ガーリックライスなんて書くと

「朝からガーリックなんて信じられない!」

と、思う方もいらっしゃるかもしれないが

日本人だって、朝から

他の国の人からしたら、とんでもなく臭い、

納豆、干物、漬物を食べる習慣があるのだから

人のことは言えない。



頼んで程なくして、ウェイトレスさんが

なにやら液体の入ったボトルを持ってきて

目の前に置いた。



photo.JPG



「Mちゃん、これなあに」と

こそこそ携帯で写真を撮って送ると

「お酢。お魚の干物につけてね。」

というお返事。



その後の追伸で

「お魚は、たまに小骨が残っていることがあるから

 気をつけて食べてね。」

というメッセージが来る。



しばらくしてやってきたのは…

こんな感じ ↓ のお皿。



photo.JPG



ひらきだから、小骨があって当たり前じゃないの?

と、思いつつ裏返したら

骨は全部きれいに取り除いてあって、

フォークでもほろほろと

皮から簡単に外れて食べや易い身であった。



photo.JPG
食べている途中の図。



フィリピンには、色々な種類の干物があるそうだけれど

私が食べたこの干物は

燻製にしてあり、それを油で揚げてあって

さらにそれにお酢をつけて食べるので

日本のいわゆる干物とは、かなりかけ離れたお味。

しかし、なかなかおいしくて、しかも食べやすくて

目玉焼きののっかったガーリックライスとの相性も抜群。



干物の中身を、ほとんど全部食べてしまった後…



photo.JPG



この皮は食べるべきなのだろうか?

と気になった。

私は、お魚の皮の部分も結構好きである。

でも、この Bangus の皮はたいそう堅くて

フォークでかんかん、と

叩いても形が変わらないくらいなのである。



オットに、皮食べるべきだと思う?と聞いたら

Mちゃんに聞けというので、

「ねぇ、ねぇ、皮はどうするの?」

と、メッセージを送ったら

「おいしくないから、食べません。」

という返事が返ってきた。



同じ、干物とご飯の朝ごはんでも

随分、日本と様子が違うのだけれど

なんだかするっと、おなかに収まって

大満足なごはんであった。





◆ おまけ

過去の朝ごはん日記







2012年10月4日木曜日

セレブなケーキ屋でランチの巻






久々に、ブルックリンのマダムHこと、

Hちゃんの家に遊びに行ってきた。

前回に訪ねたのは、5月だから

5ヶ月ぶり。



Hちゃんは、マダムHと呼ばれるだけあって

(私が勝手に呼んでいるだけであるが)

セレブである。



どこがどうセレブかは

我が家の近所のケーキ屋さんと

マダムHの近所のケーキ屋さんを比べれば

すぐにわかる。



ご存知の通り

セレブではないたびささんの

近所のケーキ屋さんに並んでいるのは…


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かいじうである。



しかし、マダムHはセレブなので

近所のケーキ屋さんに並んでいるのは…



もちろん…



こんなケーキや…

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あんなケーキである。

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(後ろのバーキンもケーキである。)



そして、

そんなセレブなケーキ屋さんで

ランチにいただいたのは…


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非常に美味な

グリルしたサーモンと、ルッコラのサンドイッチと

おいしい紅茶であるが…



我が家の近所のケーキ屋では…



そんなグルメなサンドイッチを

ランチにいただくなんてことはできない。



せいぜい…

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メロンパンが立っているのが関の山である。