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2015年9月10日木曜日

保育器と見世物小屋。





数年前。

コニーアイランドにある遊園地が

閉園の危機に陥ったときに

それについての日記を書いた。




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その後、コニーアイランドの遊園地は

閉園の危機を逃れ、

管理する会社が変わり

名前がアストロランドから

ルナパークに変わったものの

1927年にできた、

今年米寿を迎えた、木製ジェットコースターも

取り壊しの危機を逃れることができた。



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木製のレールの図


*********



先日、何気なくラジオを聴いていたら

そんなコニーアイランドの話をしていた。

コニーアイランドと保育器という

およそかけ離れた話題の話である。



未熟児を育てる保育器は

19世紀の終わりごろ、ヨーロッパで考案されたのだそうだ。

アメリカに入ってきたころは

保育器は、一般的に

有効な医療機器とは考えられていなかった。



アメリカで保育器を使い出したのは

マーティン・クーニー(Martin Couney)

という医師だといわれている。

彼は、いわゆる普通の医師ではなかった。



なんと

彼は、コニーアイランドの見世物小屋に保育器を並べ

未熟児を入れて育て、

それを見世物にしていたのである。



私が聴いたラジオ番組は、その保育器で育ったという

今年95歳になる、ルシル・ホーンという

女性のインタビューだった。



彼女は元々双子の一人として産まれたのだそうだ。

双子のもう一人は、産まれてしまったときには

すでに亡くなっていたのだけれど

彼女はまだ生きていた。



病院の医師は、この子が生き延びる可能性はない。

元々この世には縁のない運命であるし

双子なのだから2人一緒にお墓に入れるべきだと

両親に話したそうだ。



けれども、ルシルはまだ生きていた。



彼女の父親は諦めきれず、

ルシルをタオルに巻いて

タクシーに乗せてコニーアイランドに連れて行った。

ハネムーンでコニーアイランドに行った時に

保育器の見世物小屋を見たのを思い出したのだという。



ルシルは、そこで6ヶ月過ごして

無事に育つことができた。



ラジオでは、ルシルが少し大きくなった時に、

コニーアイランドを訪れた時の話をしていた。

彼女が見世物小屋に入った時に

たまたま、クーニー医師がいたので、

自分がここで育ったことを話すと

クーニー医師は、

保育器の前にたたずむ一人の男性の肩をたたき

「あなたの赤ちゃんも、この女性のように育ちますよ」

と言ったそうだ。



見世物小屋という、今にしてみると

あまりいただけない状況ではある。



けれども、とある資料によると

クーニー医師は40年間の間に

8000人の赤ちゃんを受け入れ

そのうち6500人が元気に育ち

親元に帰っていった。



経費は見世物小屋の収入で賄い

親からは一切お金は取らなかったそうだ。

見世物小屋は人気だったけれど

クーニー医師は一文無しで亡くなったそうだ。



ルシルは、見世物小屋を後にする時

クーニー医師が、ハグをしてくれたことを話していた。



クーニー医師は1950年になくなったけれど

ルシルが95歳で今でも元気なことを知ったら

とても誇らしくに思ったに違いない。



ルシルさんやクーニー医師、保育器の写真はこちら(←クリック)






2015年9月4日金曜日

たかが20年、されど20年。




先月の終わりに

この街に来てから20年が経った。



未だに自分が異邦人であるという感は

まったく抜けないけれど

ここが

今まで過ごしてきた人生の中で

一番長く過ごした街である。




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上の写真のぼやけた動画版は←こちら



20年の間に、街並みもスカイラインも

ずいぶん変わってしまった。



新しい友人ができては…

川の向こうや、

山の向こうや

大陸の向こうや

海の向こうや

星の向こうに

旅立って行く。



けれども、私は今日も

同じ場所にただ、佇んでいる。




2015年8月30日日曜日

ネコと郵便屋さん。





昨日、我が家に来る宅配の人について書いていて

ずいぶん前に来ていた

郵便屋さんのことを思いだした。



当時、私はステッタン島という

ニューヨーク市内の違う島で

少なくとも当時、築110年以上だった

一軒家に住んでいた。



その家には郵便受けというものはなくて

玄関のドアに郵便用の穴がついていて

郵便が配達されると

扉のすぐ後ろの床に郵便が落ちるようになっていた。



当時一緒に住んでいた我が家のネコ

非常にシャイで、お客様が大嫌いだったのだが

なぜか、我が家の地区を担当していた

女性の郵便屋さんのことは、大好きだった。



郵便のトラックのエンジンの音を覚えていて

その音がすると、一目散に玄関に向かって走っていって

郵便用の穴から、外をのぞいて待っていた。



郵便屋さんがやってくると

穴から前足を出して郵便を催促するのだが

郵便屋さんは、郵便物を出したりひっこめたりして

ネコをからかって遊んでいたらしい。



初めのうちは

ネコがそんなことをして郵便屋さんと遊んでいるなんて

これっぽっちも知らなかったのだが

速達を受け取ったときに、

「おたくのニャンコと遊ぶの好きよ。

 毎日やってるわ。」

と言われて、その事実を知った。



ただし、速達や荷物を受け取るときには

郵便屋さんがドアベルを鳴らすため

お客様嫌いのネコは

一目散にどこかに走っていって隠れてしまい

郵便屋さんと直接会うことはなかった。




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2015年8月29日土曜日

驚くべき記録。





我が家に荷物の配達にくる

UPSという会社のロニーさんと

郵便屋さんのコニーちゃんは

本当に気が利いて、気立ても良くて

気さくで、とっても良い人達である。



私の家と事務所は、かなり近所にあるのだが

平日は私が大抵どちらかにいるということを

2人ともちゃんと理解していて

どちらに荷物が届いても

必ず両方チェックした上で

私がどちらにもいなければ

管理人さんに預けてくれる。



先日、近所のSちゃんと、

いいかげんな荷物の配達人の愚痴を言ってたのだが…

配達の人が、みんなロニーさんや

コニーちゃんのような人だったら

いいのにねぇ…と言う話なった時に

「そうえいば、ロニーが

 ウォール・ストリート・ジャーナルに

 載ってたの知ってる?」

と、Sちゃんが言った。



会社に表彰されて

そのことが、去年のウォール・ストリート・ジャーナルに

動画と共に載っていたらしいのだ。



ロニーさんの表彰の理由は

47年間、無事故無違反の運転である。



それは、去年の話なので今年は48年。

48年である。



マンハッタンは、駐車が難しいことで有名である。

路上駐車をするのは、本当に本当に厄介である。

マンハッタンで荷物の配達を生業とするということは

駐車違反の王者になるというのと同義語である。

その上、ニューヨークは荒っぽい運転でも有名である。

無事故無違反というのは、殆ど有り得ない。



めんどくさいので市内では殆ど運転をしない

優等生の私でさえ、今までにマンハッタンで

数回の駐車違反切符をもらっているというのに(コラ)

(注:ここでは駐車違反は罰金のみで、減点の対象にはならない)

ロニーさんは、毎日毎日毎日毎日

48年間もの間、マンハッタンで運転・駐車しているというのに

それで、無事故無違反なんである。



素晴らしすぎる。



無事故無違反のためのゆっくり運転で

配達が遅れるなんてことはない。

「急いで慌てて、事故をしたり違反をしたら

 余計時間がかかるだけだからね。」

と、ロニーさんは言う。



そんな素晴らしい人が

自分の区域の担当の配達の人だというのは

何だかとっても嬉しい。



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関係ないけれど、UPS社の配達では

なぜか、みんなトラックのドアを開けたまま

運転しているのをよく見る。

シートベルトはしているけれど

ドアは開けっ放しである。



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駐車時もドアは開いたまま。

しょっちゅう乗り降りするから

めんどくさいのはわかるし

私物もおいてはいないからいいのだろうが

どうも落ち着かない。








2015年8月23日日曜日

元祖ピンクレモネードの作り方






先週。

友人の、そのまた知り合いの

とある歴史家の方の話を聞く機会があった。



とても蒸し暑い日で

その方のオフィスを訪ねたら

爽やかなピンクレモネードで

もてなしてくださった。



ピンクレモネードは

普通のレモネードに

クランベリーやら、ラズベリーやら

ストロベリー、グレープ等の

赤いベリーや、そのジュースを混ぜて作る。



我が家では最近は

庭のサンシュユで作ったフルーツソースを混ぜて

サンシュユ・レモネードならぬ

(Cornelian cherry lemonade)

ピンクレモネードを作っている。



市販のピンクレモネードでは

ただ、色がつけてあるものもよく見かけるけれど

本来のピンクレモネードというものは

レモネードに赤いフルーツを混ぜて作るものだ。



と、私は、ずっと思っていた。



んが。



どうやら、

昔からお祭りの屋台等で売っていた

ピンクレモネードは

どうも、ただ色だけピンクで

他のフルーツは混ぜてないものが多かったようである。



エアコンの効いた部屋で

ピンクレモネードを飲んで落ち着き

その歴史家の方から

いろいろと面白い話を伺ったのだが…



その話の中で

ピート・コンクリン(Pete Conklin)

という人物の話が出てきた。

彼は、19世紀の半ば、

(まだ日本が江戸時代だった頃に)

アメリカのサーカスで働いていた人物で

一説によると、

ピンクレモネードを発明した人物と言われている。



その説は、こうである。



ある日、サーカスがもう始まろうとしているのに

レモネードを作るための水が

なかったことがあったのだそうだ。



昔の移動サーカスなので、

その辺に水道はなかったんである。



水がない、どうしよう!と思ってうろうろしていたら

馬乗り曲芸をする女性が

赤いタイツを洗った後の水が

まだタライに残っているのを発見。



そのタライの赤い水を使ってレモネードを作って

「おいしいイチゴレモネード」

と称して売ったら…



爆発的に売れたらしい…。



…。



歴史家の方は、話を終えた後…



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テーブルの上にまだ少し残っていた

ピンクレモネードのピッチャーをみつめて

にっこりと微笑んだ。





◆ ピート・コンクリン流
  元祖ピンクレモネードの作り方


材料:
 レモン
 砂糖(好みで蜂蜜も可)
 赤いタイツまたは靴下
 水

作り方:
 1.赤いタイツをお湯で洗う
 2.タイツを取り除いた湯に砂糖を溶かしておく
 3.砂糖を溶かした湯を冷蔵庫でよく冷やしておく
 4.レモンを絞る
 5.レモン汁と赤い水を混ぜる



◆ たびさ流ピンクレモネードの作り方

材料:
 レモン汁
 サンシュユのフルーツソース
 (作り方はここ←参照)
 炭酸水

作り方:
 全部混ぜる




2015年8月6日木曜日

出前。






昨日、夕飯のお買い物をしていたら

150キロくらい離れたところにいる

クライアントから

携帯にメッセージが届いて



「サーモンの巻き寿司と

 味噌汁もお願い。」

と書いてあった。



寿司の出前の仕事はやっていないけれど

クライアントに頼まれたら

断れないタチである。



ちょうどそのお店に売っていた

寿司の写真を撮って…


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「毎度たびさ寿司です。

 サーモンは売り切れのようですが

 マグロとアボカドの巻き寿司でもいいですか?」



と、いう返事を送っておいた。



**********



Eメールと電話だけの時代には

間違えて電話しちゃったとか

間違えてメールしちゃったという事件はあったけれど

前置きなしに

「サーモンの巻き寿司1人前!」

と言われるなんていう、唐突な間違いは少なかった。



スマホになってから

小さな画面や

自動スペル修正機能のせいで

とんでもなく笑える間違いが起こる確率が

恐ろしく増えたと思う。



例えば

「遅れまーす」 というメッセージへの返事に

「本屋で時間つぶしてる(killing time)から大丈夫。」

と書くつもりが

「本屋でトムを殺してる(killing Tom)から大丈夫。」

になっていたり。



メラニーへ と書いたつもりが

メラミンへ、 とか メルトダウンへ、

になっていたり。



「ハニー、今から帰るよ!」

ただの知り合いから言われたり。



*************



ちなみに、件のクライアントからは

「ははははーーーー

 ごめんなさーーーい。

 娘と間違えました。」

という返事がきた。

彼女には

私の名前と一文字違いのお嬢さんがいるらしい。











2015年8月1日土曜日

ニューヨークなライブ2本。





去年だったか、その前だったか

ラジオでジャズを聴いていたら

ちょっといいなという演奏がかかったので

検索したら…



子供だった。



ジョーイ・アレクサンダーという

インドネシア人の少年で

へぇ。天才児か。すごいなぁ。と思ったけれど

インドネシアなので

ライブを聴く機会もないだろうと思い

しばらく、そのことを忘れていた。



ところが、数日前、

近所のジャズクラブに来ちゃったんである。

ということで

もちろん聴きに行ってきた。



ひょろひょろっとちっこくて

歳よりもずっと幼く見える彼は

技量がすばらしいのはもちろんのこと

複雑な作曲もすばらしいし

曲の崩し方、アレンジの方法や

バンドの他のメンバーとの掛け合いや

情のいれ方など、

目を瞑って聞いていれば

まるで40歳過ぎた脂ののったジャズマンみたいな

そんな弾き方をする。



クラシックで技術が、ずば抜けてすばらしい天才児や

ジャズでも、ソロ演奏がうまい天才児は

結構そこらへんで見るけれど

その多くは、初々しいというか、

キンキンと尖った感じで

味が出てくるのは、もうちょっと歳を取ってからのことが多い。



けれどもこの彼は、12歳になったばかりなのに

脂がのっていて、味があって、演奏を楽しんじゃっていて

他のバンドマンとの掛け合いが絶妙なのだ。



そんな演奏を見せつけた途中で

メンバーと曲の紹介のためにマイクを持ったら

恥ずかしげな、ちょっとたどたどしい子供の話し方だった。

しかも、途中で熱くなってジャケットを脱いだら

裏返しのままぽいっと、床に置いちゃうところも

本当にあどけない少年のままだった。



ベースとドラムの奏者は、

プロの大人のジャズマンだが

彼が、恥ずかしげにしゃべっている間

素知らぬ顔をしている。

バンドのリーダーなんだから当然、と

完全に大人扱いなのだろう。



これから成長して

手が大きくなったり、

いろいろな人生経験を重ねてたりして

弾き方が変わっていくのが楽しみな人材である。



去年インドネシアから、

ニューヨークに引っ越したらしいけれど

この街で潰れないで、楽しんで弾き続けて欲しい。



********



私が、上記のライブを見に行った次の日に

友人が、U2のトリュビュートバンド(カバーバンド)

のライブを見に行った。



実物のU2がニューヨークに来て

マジソンスクエアガーデン

8日間の公演を行っていたのだが

それを見に行けないファンたちが

コンサートホールからほど近い小さなライブハウスで

トリビュートバンドのライブで盛り上がっていたのだ。



私も誘われたけれど行かなかったので

次の日に、どうだったー?

と友人に聞いたら、

それはそれは大興奮している。



ライブの途中で、

誰かがステージに来てバンドメンバーに耳打ちをしたら

2人の人間がステージにあがってきたのだそうだ。



誰かと思ったら、

なんと

本物のU2のメンバーの2人が

カバーバンドのライブに来ちゃったんである。



しかも、飛び入り参加で2曲も弾いちゃって

カバーバンドのギターにサインをして

去っていったという。



小さなライブハウスなので

マジソンスクエアなんかよりも

ずっと間近に演奏を見れて

カバーバンドのメンバーもファンも

それはそれは大興奮だったそうだ。



本物のメンバーが

トリビュートバンドのコンサートに突然現れて

しかも、演奏しちゃうという

この素晴らしさ。




Empirestate2



だからニューヨークはやめられない。







2015年7月16日木曜日

「フレンズ」な日々。






仕事中、飲み物が飲みたいときには

大体、自分で用意することが多いけれど

たまに、めんどくさくなると

近所のカフェで飲み物を買ってくることがある。



ここのところ、少し忙しくて

めんどくさかったので

3日間、続けて近所のカフェに

飲み物を買いに行ったら…。



なんと3日とも、

ご近所さんと鉢合わせしてしまった。

しかも、1人ではなく、

2人とか、3人。

そのうちの1人は、3日連続である。



何だか、フレンズのような

わざとらしいテレビドラマの筋書きのようである。



ちょっと、ちょっと、ストーカーしてるんじゃないの?

なんて、言い合いながら

飲み物を待っているときに

あ、テレビだと

向かい合って座っちゃいけないんだよねー。

と、皆でわざとらしく横並びで座ってみたり。



だいの大人が何をやってるんだか。



都会とはいえ狭い島だからか

街を歩いていると、かなりの確率で

オットの会社の人とも道で会うことがある。



しかも、たいてい

ジムの帰りで、髪ぼさぼさ~汗だらだら~とか

鍼とかマッサージの帰りで、顔に筋がついている

という状態で会うことが多い。



不思議なことに自分の親しい友人や

クライアントにはあまり会わないのだが

それは、私が気づいていないのか(よくある)

または

向こうに避けられているだけなのかもしれない。




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全然関係ないカフェの図。






2015年6月26日金曜日

うらしまな私の、目からウロコ事件。






私は、日本の芸能界について疎い。



2日くらい前に

ネットで日本のニュースを読んでいたら

『「わらにまみれてヨー」の横井弘さん死去』

という記事があった。



そこで、あ、この歌知っている。

と、思って、歌い出したのだが

「わァ〜らァにまみれてヨ〜♪ 育てた…」

の後が出てこない。



なんとなく「ドナドナ」っぽい歌だった

という記憶があったので

「育てた、う〜しぃが〜。」

と、歌ってみたが、その後もまったく出てこない。



しょうがないから、YouTube を見てみたら

育てた「牛」じゃなくて「栗毛」だった。



そこで、勝手に茶色い牛を想像して

肉として売られるのに

風邪引くな、とか

達者でなっていう歌詞も

なんだか変だなぁ。などと

勝手なことを考えながら

動画に合わせて歌っていたのだが…



最後まで歌ったら、歌詞が

「かわいーたてがみ、なでて、なでてやろ。」

だった。

ずっと牛だと思っていたが

実は馬だったのだ。



相変わらずの自分の勘違い度に、

ニヤニヤしてしまう私である。



ところで、この歌の歌詞を作った

横井弘さんという方については

まったく知らなかったのだが、

私がニュースでみた横井さんは

ものすごくハンサムだった。






ジョージ・クルーニーそっくり。

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2015年6月15日月曜日

セネガルから来た洗濯物入れ。






日曜日は、家のすぐ近所の

怪獣ケーキのある通りで

ストリートフェア(歩行者天国)をやっていたので

オヤツに焼きとうもろこしを買いにいった。


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ついでに、その辺をうろうろしていたら

アフリカのカゴ屋さんが目に入った。



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大小色々なカゴがあったが、

一番大きなカゴが、

ちょうど必要だと思っていた洗濯物入れに

ちょうど良いなと思って、

ちょっとだけ立ち止まった。

でも、手に焼きとうもろこしを持っていたし、

その場は、そのまま家に帰った。



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夕方近くになってから

やっぱり欲しいと思ったので

もう一度でかけていったら

お店の女性が話しかけてきた。

「ねぇ。貴方、さっきも来たでしょう。」

と言う。



一通り、全部の品物を見たけれど

一番最初に目に入ったのが一番よかったので

「これにする。」と、言うと

女性が、「点検するからちょっと待ってね」という。



彼女は、中や外をじっくり眺めて

カゴの口のところに、小さなささくれを見つけると

「ここ、直すからちょっと待って」と言って、

カゴの材料を出してきて

ささくれの部分を少しほどき

巨大な針で、ささっと綺麗に縫い直してくれた。



「このカゴはどこから来たの?」と聞くと

「セネガルよ。知ってる?」という。

ちょうど先月パーティで、セネガルのヒマ君から

セネガルについての講義を受けたばかりだったので…

(本当は先月まで、セネガルがどこにあるか知らず、

 有名なダカール・ラリーのダカールが

 セネガルの首都だったことも知らなかったくせに)

誇らしげに、「アフリカの最西端の国。」

と答えた。



女性は、もう一度バスケットを点検してから

「私の名前はファタオ。あなたの名前は?」

と言った。

名前を言って握手に応えると

「夏中、店を出してるわ。また会えるといいわね。」と

真っ白な歯を見せて笑った。




ファタオに支払いをしている時に

お店の男性がやってきてバスケットを袋に入れてくれたのだが

入れるときに、底をみたら

色の違う小さなカゴが入っていた。



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盗もうとしたと思われるんじゃないかと思い、

かぁっと顔が熱くなり、慌てて

「ああ、ごめんなさい。知らなかった。

 見えなかったの。」

と言うと、彼は笑って

「これは、君の運だよ。君は運がいいんだ。

 このカゴは、君の家に行く運命なんだよ。」

と言って、

小さなカゴを大きなカゴの中にそっと戻して

袋の口をしめた。



ファタオを見上げると、笑っている。

ファタオは、点検しているときに

小さなカゴが入っていたことを知っていたのだ。




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この手のアフリカのカゴは

高級なデザインストアやらデパートやら

はたまたディスカウントストアやらでも売っていて

ものすごく珍しいものではないのだけれど

それまでの私にとっては、

遠いアフリカのどこかからきたタダのカゴだった。



ファタオが慣れた手つきで

カゴをなおしているを眺めていたら

セネガルで、女性達が同じように

手でカゴを作っている光景が見えてきた。



作っている人の顔が見える買い物はいいものだ。